2008年02月17日
ゴージャス2
☆前回より続く

ひきつづき、Wienna Opera Ball(ウィーン・オペラ・バル ※バル=舞踏会)とDita von Teese(一応、ディータ・フォン・テーゼとしときましょう。)についての「シュピーゲル Spiegel 」の記事の紹介を続けましょう。
ウィーンのオペラ・バルが、とびきりスノッブな世界で、いまだに欧州に根強く残る階級社会を反映したものだということは、全回書きました。
とわいえ、万事、マネーなのは、世界中、今も昔も同じ。
従来は、厳格なクラス・コードのようなものがあったようですが、いまでは、大枚はたけば、この晴れ舞台で踊ることができます。
数年前に、日本の民放の特集で、タレントを参加させて無理やり踊らせていたのを想いだします(んなこと、やめりゃいいのに。あー、今思い出しても、はずかしー!)。

それはさておき、上の写真に写っているアクの強そうな男性は、Richard Lugner(リヒャルト・ルグナー)。
Dita von Teese(写真の女性)を、ウィーン・オペラ・バルに招待したのは、誰あろう、このおじさんなのです。
彼は、1992年以来、オペラ・バルに、自分のパートナーとして、著名な外国人の女性を連れて舞踏会に参加しているようです。
彼のゲストには、ソフィア・ローレンとか、あのパリス・ヒルトンなんかも招待したようで、、、。つまり、ちょっと、クセのある女性ゲストを選んでいるよう。
それというのも、この大金持ちは、土地成金のようで、ま、成り上がり者なわけ。
ヨーロッパの貴族階級の根城であるウィーン・オペラ・バルこそは、彼が征服したくてしたくてしょうがない(でも、絶対にできない)野望の対象に違いありません。
なので、毎年、派手な話題をさらうような自己演出で、この格式ある大舞踏会の「やんごとなき」紳士・淑女を翻弄しているのでしょう。
ルグナーに言わせれば、『気取ったウィーン・オペラ・バルを大衆化しようとしているのだ』ということのようです。

ついでに、こちらの女性は、土地成金ルグナーの前の奥さんです。どうやら、旦那の振る舞いをずっと我慢してたようですが、ついに、去年離婚に踏み切りました。
で、今年のウィーン・オペラ・バルに、彼女は、アジア人らしい男性にエスコートされて現われました。
Spiegel によれば、identifyできない(だれか分からない)とのことですが、軍帽とか階級章を見る限り、北朝鮮の武官じゃないでしょうか?本物かどうかはわかりませんが、、、。それにしても、奥さんやりますね、、、(でも、このマダムは、怖いわ、、、)。
第2次大戦後、徹底したアメリカナイズと大衆社会化が進行した日本人には、ピンとこないことですが、ヨーロッパには、今でも厳然と貴族社会なるものが維持されているようです。
王家が存続を許されているイギリスやベネルクス、北欧諸国はもちろんですが、イタリアやオーストリア、さらには大革命を経たフランスでさえも貴族の子孫というのは、今でも爵位を名乗り、非常にクローズな(閉じた)社交界を営んでいます。

ドイツも、第2次大戦の敗北までは、ワイマール共和国といって、当時世界一進んだ憲法を持つ共和制であったにもかかわらず、プロイセン(1871年にドイツを統一した王国 ※日本だと「薩長」にちょうど当たります)のユンカー(土地貴族)を初めとする貴族階級が、社会の様々な分野で羽振りを利かせていました。
共産主義者はもちろんですが、ナチスなんかも、実は、こうした貴族主義を打倒しようとした側面があります。ナチは、国家社会主義者と名乗っていたように、一応「社会主義」ですから。
とくに、プロイセンの土地貴族であるユンカーというのは、日本でいうと郷士(在地の武士)とか庄屋クラスも含むようで、数も多く、戦前ドイツの指導者層を形成していました。
ドイツでは、19世紀の後半から産業革命が進行し、急速に工業化しました。
その反面、農業の没落は深刻だったようで、農場経営を維持できなくなる地主(=土地貴族「ユンカー」)が少なくありませんでした。
没落したユンカーたちは、どうなったかというと、だいたい軍隊に入ります。というわけで、ドイツ軍は、まさに、プロイセン・ユンカーの牙城のような観すら呈していました。
ドイツとオーストリアの国境近くの小さな町で、平凡な地方公務員の長男として生まれ、その後、ウィーンで貧乏なボヘミアンの画家として青年期を過ごし、第1次大戦中は、しがない志願兵の一兵卒として、ドブねずみのように塹壕を這いずり回っていたヒトラーにとっては、貴族社会の名残を残すドイツの士官達は鼻持ちなら無い存在として感じられたようです。
ヒトラーは、後年、ドイツ軍の最高司令官として、それこそ無茶苦茶なリーダーシップを発揮し、「世界に冠たる」ドイツ陸軍と、その光輝ある将校団をずたずたにしてしまいますが、おそらく、ドイツ陸軍に色濃く残る貴族臭が耐えられなかったのでしょう。
この点、ウィーン・オペラ・バルのスノッブさに耐えられない(と思ってるであろう)土地成金のルグナーと通ずるものがあるように思います。
でも、自分にはどうすることもできない「生まれ」で差別化するような階級社会に生きている平民(これを書いているわたしもその一人ですが)にとっては、貴族なんてうんざり!どうかして見返してやりたい、小馬鹿にしてやりたいと思うのも無理からぬことではあります。
ま、それは、さておき、Dita von Teeseは、今年のウィーン・オペラ・バルの開幕に先立つショーでシャンパングラスのバスタブに浸かった1940年代風のストリップ・ショーで聴衆の度肝を抜き、あるいは魅了したのでした。
それは、伝統ある貴族社会を小馬鹿にするという点では、うってつけの思いつきだったかもしれません。
Dita von Teese。ほんとかウソかわかりませんが、苗字の前に、ドイツ・オーストリアで貴族を表す称号「von フォン」が付いています。これも、戦前チックなショー(バーレスク・ショーとSpiegelは表現しています)で売り出した彼女の演出のひとつかもしれませんね。つまり、没落貴族の娘のショーという設定なのでしょう。
ちなみに、第2次大戦の敗北までのドイツでは、先にも述べたようにユンカーをはじめとする貴族がたくさんいたので、vonのつく軍人や政治家がいっぱい出てきます。ユンカーは数が多いので、今でもその子孫は、少なく無い数が、各界で活躍しているはずですが、戦後は、ドイツでも民主主義教育が浸透して、名前にvonをつける人はあまりいないようです。
それにしても、伝統あるウィーン・オペラ座で行われたstriptease。ちょっと、見たいような気もしますが、私だけでしょうか?

byらいおんまる

ひきつづき、Wienna Opera Ball(ウィーン・オペラ・バル ※バル=舞踏会)とDita von Teese(一応、ディータ・フォン・テーゼとしときましょう。)についての「シュピーゲル Spiegel 」の記事の紹介を続けましょう。
ウィーンのオペラ・バルが、とびきりスノッブな世界で、いまだに欧州に根強く残る階級社会を反映したものだということは、全回書きました。
とわいえ、万事、マネーなのは、世界中、今も昔も同じ。
従来は、厳格なクラス・コードのようなものがあったようですが、いまでは、大枚はたけば、この晴れ舞台で踊ることができます。
数年前に、日本の民放の特集で、タレントを参加させて無理やり踊らせていたのを想いだします(んなこと、やめりゃいいのに。あー、今思い出しても、はずかしー!)。

それはさておき、上の写真に写っているアクの強そうな男性は、Richard Lugner(リヒャルト・ルグナー)。
Dita von Teese(写真の女性)を、ウィーン・オペラ・バルに招待したのは、誰あろう、このおじさんなのです。
彼は、1992年以来、オペラ・バルに、自分のパートナーとして、著名な外国人の女性を連れて舞踏会に参加しているようです。
彼のゲストには、ソフィア・ローレンとか、あのパリス・ヒルトンなんかも招待したようで、、、。つまり、ちょっと、クセのある女性ゲストを選んでいるよう。
それというのも、この大金持ちは、土地成金のようで、ま、成り上がり者なわけ。
ヨーロッパの貴族階級の根城であるウィーン・オペラ・バルこそは、彼が征服したくてしたくてしょうがない(でも、絶対にできない)野望の対象に違いありません。
なので、毎年、派手な話題をさらうような自己演出で、この格式ある大舞踏会の「やんごとなき」紳士・淑女を翻弄しているのでしょう。
ルグナーに言わせれば、『気取ったウィーン・オペラ・バルを大衆化しようとしているのだ』ということのようです。

ついでに、こちらの女性は、土地成金ルグナーの前の奥さんです。どうやら、旦那の振る舞いをずっと我慢してたようですが、ついに、去年離婚に踏み切りました。
で、今年のウィーン・オペラ・バルに、彼女は、アジア人らしい男性にエスコートされて現われました。
Spiegel によれば、identifyできない(だれか分からない)とのことですが、軍帽とか階級章を見る限り、北朝鮮の武官じゃないでしょうか?本物かどうかはわかりませんが、、、。それにしても、奥さんやりますね、、、(でも、このマダムは、怖いわ、、、)。
☆
第2次大戦後、徹底したアメリカナイズと大衆社会化が進行した日本人には、ピンとこないことですが、ヨーロッパには、今でも厳然と貴族社会なるものが維持されているようです。
王家が存続を許されているイギリスやベネルクス、北欧諸国はもちろんですが、イタリアやオーストリア、さらには大革命を経たフランスでさえも貴族の子孫というのは、今でも爵位を名乗り、非常にクローズな(閉じた)社交界を営んでいます。

ドイツも、第2次大戦の敗北までは、ワイマール共和国といって、当時世界一進んだ憲法を持つ共和制であったにもかかわらず、プロイセン(1871年にドイツを統一した王国 ※日本だと「薩長」にちょうど当たります)のユンカー(土地貴族)を初めとする貴族階級が、社会の様々な分野で羽振りを利かせていました。
共産主義者はもちろんですが、ナチスなんかも、実は、こうした貴族主義を打倒しようとした側面があります。ナチは、国家社会主義者と名乗っていたように、一応「社会主義」ですから。
とくに、プロイセンの土地貴族であるユンカーというのは、日本でいうと郷士(在地の武士)とか庄屋クラスも含むようで、数も多く、戦前ドイツの指導者層を形成していました。
ドイツでは、19世紀の後半から産業革命が進行し、急速に工業化しました。
その反面、農業の没落は深刻だったようで、農場経営を維持できなくなる地主(=土地貴族「ユンカー」)が少なくありませんでした。
没落したユンカーたちは、どうなったかというと、だいたい軍隊に入ります。というわけで、ドイツ軍は、まさに、プロイセン・ユンカーの牙城のような観すら呈していました。
ドイツとオーストリアの国境近くの小さな町で、平凡な地方公務員の長男として生まれ、その後、ウィーンで貧乏なボヘミアンの画家として青年期を過ごし、第1次大戦中は、しがない志願兵の一兵卒として、ドブねずみのように塹壕を這いずり回っていたヒトラーにとっては、貴族社会の名残を残すドイツの士官達は鼻持ちなら無い存在として感じられたようです。
ヒトラーは、後年、ドイツ軍の最高司令官として、それこそ無茶苦茶なリーダーシップを発揮し、「世界に冠たる」ドイツ陸軍と、その光輝ある将校団をずたずたにしてしまいますが、おそらく、ドイツ陸軍に色濃く残る貴族臭が耐えられなかったのでしょう。
この点、ウィーン・オペラ・バルのスノッブさに耐えられない(と思ってるであろう)土地成金のルグナーと通ずるものがあるように思います。
でも、自分にはどうすることもできない「生まれ」で差別化するような階級社会に生きている平民(これを書いているわたしもその一人ですが)にとっては、貴族なんてうんざり!どうかして見返してやりたい、小馬鹿にしてやりたいと思うのも無理からぬことではあります。
☆
ま、それは、さておき、Dita von Teeseは、今年のウィーン・オペラ・バルの開幕に先立つショーでシャンパングラスのバスタブに浸かった1940年代風のストリップ・ショーで聴衆の度肝を抜き、あるいは魅了したのでした。
それは、伝統ある貴族社会を小馬鹿にするという点では、うってつけの思いつきだったかもしれません。
Dita von Teese。ほんとかウソかわかりませんが、苗字の前に、ドイツ・オーストリアで貴族を表す称号「von フォン」が付いています。これも、戦前チックなショー(バーレスク・ショーとSpiegelは表現しています)で売り出した彼女の演出のひとつかもしれませんね。つまり、没落貴族の娘のショーという設定なのでしょう。
ちなみに、第2次大戦の敗北までのドイツでは、先にも述べたようにユンカーをはじめとする貴族がたくさんいたので、vonのつく軍人や政治家がいっぱい出てきます。ユンカーは数が多いので、今でもその子孫は、少なく無い数が、各界で活躍しているはずですが、戦後は、ドイツでも民主主義教育が浸透して、名前にvonをつける人はあまりいないようです。
それにしても、伝統あるウィーン・オペラ座で行われたstriptease。ちょっと、見たいような気もしますが、私だけでしょうか?

byらいおんまる


